現存天守で最も高地に位置する備中松山城。
「天空の城」として有名になった竹田城の余波で備中松山城も雲海に浮かぶ様が見られる城として注目を集めているそうです。竹田城は遠すぎるのと、なんといっても竹田城にはない現存天守がありますのでね。
昔は案内も何もなかったようで、知る人ぞ知るだった展望台への道のりですが、今は案内板も整備され、迷うことなく辿り着けるでしょう。
仮設トイレも設置された駐車スペース。朝5時前にはすでに停められず、少し下った所に路駐。
陽の上らない時間帯から行動する場合は明かり必携です。野生の猿の生息地でもあるようで、注意書きがありました。
暗いうちはどこが城なんだかわかりませんが、雲海の動きはなんとなくわかります。
明るくなるとやっとあの家みたいなのが城か?とわかるように。展望台から手前右手の山に天守が見えます。
雲海は出たものの城の方までかからず、残念ながら「雲海に浮かぶ城」の景は見ることができませんでしたが、未明から夜明けを味わいながらなかなか趣のある普段と違った城巡りでした。
展望台から戻ると私の車の後にギッシリと路駐の列が。黙って俺についてこい!みたいな。
良い場所をとりたいのであれば、防寒対策をしっかりして夜明け前から行動しましょう。
遠方から眺めた後は実際に登城。シャトルバスで途中まで登り、そこから歩いて15分ほどで大手門跡の素晴らしい石垣群が。本丸への曲輪群も素晴らしいの一言。
小ぶりながら独創的な形を持つ天守の内部には非常に珍しい暖をとるための囲炉裏が。畳はどこかで見た記憶がありますが、囲炉裏は初めて見ました。
一般の観光客はだいたい天守を見たら帰ってしまうのですが、現存櫓の裏から奥にさらに古い時代の曲輪が広がっています。普段着で歩いて廻るには少々難儀しますが、備中兵乱の舞台となったこれらの史跡を見ずに帰るのはもったいなさすぎます。
※備中兵乱の経緯
宇喜多氏 「備前の三村の領土を奪うぜ!三村のボスを暗殺するぜ!URYYYYY!」
三村氏 「何をするだぁーっ!許さん!奪い返す!」 → 3万の大軍で攻めるも、宇喜多勢5千の待ち伏せに引っ掛かり、返り討ちに遭う。
宇喜多氏 「この勢いで備中にも侵攻するぜ!ヒャッハー!」 → 三村方の諸将寝返り相次ぐ。備中松山城も裏切りにより宇喜多方へ。
毛利氏 「宇喜多がのさばるとめんどくさい。三村とは同盟だし、ここは宇喜多を追っ払っておくか・・・。」 → 備中松山城、再び三村方へ。
宇喜多氏 「国内も安定していないし、とりあえずうちも毛利と同盟しよう。」 → 毛利これを受け入れ、三村ブチギレ。
三村氏 「毛利め、憎き宇喜多と結ぶとは!坊主憎けりゃ袈裟まで、毛利とは手切れだ!うちは織田と同盟する!」
織田氏 「同盟したはいいけど、うちは武田攻めで忙しいからまだ中国方面には行けないのよねー。」
毛利氏 「三村滅ぼして備中ゲットだぜ!」 完
城から少し離れた所に尼子の忠臣、山中鹿介が刺客にやられた渡し場だった場所があり、後年に建てられた墓があります。
鹿介は我に七難八苦を与えたまえと月に願掛けしたそうですが、主家滅亡して捕まった上に便所の中を通って逃げ出し、織田に見捨てられて最後は暗殺と、十分すぎるほど願いは叶えられたのではないでしょうかね。
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by utah_jazz12to32
| 2015-12-24 19:13
| 岡山県の城跡