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[ 2011-02 -06 14:16 ]

秀吉の部下というと、思い浮かぶのは清正をはじめとする七本槍や竹中半兵衛兵、そして黒田如水。本名の孝高や隠遁後の如水より、通称の官兵衛の方が一般には有名ですが、私的には如水が一番しっくりきます。
豊臣秀吉から豊前を与えられ、馬ヶ岳城が不便すぎるということで、新たに建築されたのが中津城。当時は広い敷地に海水を引き込んだ堀を備えており、高松城・今治城とともに日本三大水城の一つに数えられておりますが、現代に残された遺構は残念ながら今治城に比べるとかなりショボい。

築城を始めたものの、相次ぐ土着の有力者との内戦に大忙しで、結局完成をみないまま、黒田家は関ヶ原の功により、筑前名島(のちの福岡)に大幅加増されて領地替え。
立花宗茂同様、奥さんの方が有名かもしれない細川忠興の領地になります。そして忠興の隠居城として、ようやく中津城は完成。画像は黒田、細川時代の石垣の違い。
この領地替えの際、黒田が筑前に持っていった豊前の年貢を巡り、黒田細川は戦寸前の揉め事に発展。如水の嫡男長政は藤堂高虎とも不仲であり、細川忠興が「あの2人は本当に仲悪いよなー」といった記録があるそうですが、それこそオマエが言うなと言わざるをえません。さらに領主は小笠原氏から奥平氏へと替わり、明治まで奥平氏の居城になりました。

模擬天守の内部は奥平氏ゆかりの品々の展示が充実。奥平信昌が長篠の戦いで着用したという甲冑や、

家康から拝領した白鳥の槍。もとは信長のものだったとか。左下の法螺貝は、長篠の戦いで使われたそうです。長篠合戦には欠かせないエピソード、忠臣鳥居強右衛門の磔絵も。
ついでに如水着用のお椀兜をモチーフにしたゆるキャラ「あ!官兵衛(あっかんべー)」も注目といえば注目か。モデルの兜は盛岡に行ってしまっていますが。

中津城から少し離れますが、城井鎮房謀殺時、城井家臣の血が壁に飛び散り、塗りなおしても血が浮き出てくるために、壁を赤一色にしたという合元寺も如水ファンには見逃せないスポットです。
中津には河童伝説もいくつか残っており、河童の墓や河童の棲んでいた池などが残っていますが、池というより水溜りというか。ここに河童がいたとしても、すぐ干上がるか捕まるか・・・。