甲斐風林火山紀行③天目山古戦場跡(山梨県甲州市)
武田家史跡としてここは外せない恵林寺へ。
信玄公墓所は残念ながら撮影禁止。宝物館を見てから境内の食堂で蕎麦と鳥もつ煮を食べましたが、かなーりイマイチ。心頭滅却しても熱いものは熱い、不味いものは不味い。
恵林寺をあとにして天目山方面へ。
武田家最後の戦いとなった田野古戦場跡地にある景徳院へ。
勝頼・信勝・勝頼夫人墓所。時に勝頼37歳。北条夫人とも呼ばれる勝頼室は19歳、嫡子信勝は16歳の短すぎる生涯でした。境内には三人の生害石(自害した石)などが。
湧水で勝頼の首を洗ったと伝わる首洗い池。今は池ではなく川のようになっています。
古戦場跡の碑。ほかにも四朗作古戦場という碑がありました。
わずか数十名で織田軍からの逃避行。籠城するはずだった岩殿城の小山田には裏切られ、行くあてもなく歩く勝頼主従の絶望感たるやいかに。静かな山あいの風景が悲哀感を誘います。
甲斐大和駅前に立つ勝頼像。勇ましく軍配を振るう姿は信玄公も落とせなかった高天神城を落城させた絶頂期の姿でしょうか。
武田家とは関係ありませんが、田野には三大キリシタン大名の一人である有馬晴信の居館跡、墓所があります。
南蛮船を撃沈させて得意になっていたら詐欺にあい、島原からこんな所まで飛ばされた挙句に斬首とは。ある意味勝頼に負けず劣らずの悲哀ある人生です。できれば島原に改葬してあげたいものです。
甲州市から甲府市内に戻って甲府城跡を見学しようとしましたが、日没で石垣以外まったくわからず。甲府駅前の信玄公像を撮影したあと、駅行内で土産を買って帰途につきました。
ベタに風林火山茶。
信玄餅をはじめ、やはり武田にちなんで名づけられたお土産が多かったです。中には「信玄豚と○○菜」なんていうお土産も。豚にまで信玄公をつけてしまうのはどうなのよと、最後にやや釈然としない気持ちにさせられ初の山梨旅行を終えました。
by utah_jazz12to32
| 2016-08-30 20:11
| 古戦場跡