城跡散歩

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カテゴリ:熊本県の城跡( 2 )

震災後の熊本城跡(熊本県熊本市)

熊本を襲った大震災から1年余り。
仕事のついでに久々に熊本城を訪れました。

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大天守はガッツリ修理中。本丸へは今も立入不可。

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私的に一番の見所と思っている宇土櫓とその石垣の現在。
見た目的には大きなダメージはないように見えますが、続櫓は完全に倒壊。中も大規模修理が必要かもしれないとのこと。

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二の丸周辺は見学可能ですが、石垣や櫓にはやっぱり震災の爪痕が。道路にも大量の土嚢袋が積み上げられていました。

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まだ瓦礫がそのままの状態の所もたくさんあります。震災前の威容はいつ取り戻すことができるでしょうか。

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こちらの石垣は崩れないようにコンクリで固めてあります。風情ぶち壊しですが、当然安全第一。


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向かいに立つ市役所の展望所より。再建された御殿はどうなっているでしょう。

すべて元通りにするには20~30年かかるとも言われている熊本城。でも築城にかかった期間は7年程だったそうなので、素人考えではもっと早く修復できそうな気もしますが。ただ一から造るのではなく、元通りにするというのは相当難しいということなのでしょう。

帰る前に敷地内にある特産品売場の城彩苑で豆腐の味噌漬「山うにとうふ」を購入。その名の通りウニのような味のする保存食ですが、これが最強のごはんのお供と判明。辛子蓮根買うくらいならこっちをお土産にしたほうがいいです。

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帰路の途中で木山城跡にも立ち寄りましたが、こちらもトイレが地面から浮いて傾いているという熊本城に負けず劣らずの壊れっぷりでした。


熊本城訪問からしばらくして図書館で水木しげる先生の妖怪関連の本を眺めていると、加藤清正の河童退治の話が載っていました。虎退治は有名ですが、河童はあまり知られていないのでは?

ある日河童が清正さんの小姓を川に引きずりこんで死なせてしまいました。これにブチギレした清正さん、川に熱湯を流すなど河童退治を画策します。
川に熱湯を流し込んだところですぐに冷めてしまうのでは…とツッコミたくなりますが、清正さんの攻撃は効を奏した模様。たまりかねた河童たちは僧侶に仲介を依頼。清正さんに詫びを入れて肥後から筑後地方へ移住していったとのこと。

これまたいろいろとツッコミどころ満載のオチですが、虎を退治しただけでなく河童まで追い詰めてしまう清正さん、パネェっす。



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by utah_jazz12to32 | 2017-08-06 19:23 | 熊本県の城跡

水俣城跡と歌合戦(熊本県水俣市)

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戦国時代、相良氏の支配下にあった水俣城。
北進する島津軍に攻められ落城。豊臣時代は直轄地、小西領を経て、関ヶ原以降は加藤清正の領地になり、1612年幕命により破却されました。


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グラウンド整備時に発掘されたらしい石垣。


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本丸には石碑が立っていましたが、文字が読めずなんの石碑かは不明。


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唯一のちゃんとした遺構はこの古井戸跡のみ。


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清正時代に整備されたものでしょうか。所々に破却されたであろう石垣が残っています。


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城山の隣も小高い丘で、曲輪・土塁・・・だと思いたいのですが、公園として造成されたものなのか私には判別がつきませんでした。でも物見にはピッタリな気がするんだよなぁ。


率直に言いますと、何度も見に来るような遺構があるわけでもなく、発掘調査はされたものの保存状態も良いとは言い難く、イマイチな城跡なのですが、水俣城攻防戦を有名にした逸話があります。

天正時代、水俣城を攻める島津軍から打ち込まれた一本の矢文。それには「秋風や 皆また落ちる木の葉かな」の和歌が記してありました。秋に舞い落ちる葉っぱのように水俣城のお前らも全滅するんだよ、といったところでしょうか。

脅しとも挑発ともとれる島津軍の歌に対して相良軍も負けずに「寄せては沈む 月の浦波」と返歌を撃ち返したそうです。こちらは攻めるお前らこそ月の浦の岸壁に砕ける波のように沈みやがれ、みたいな内容。負けていません、相良軍。結局降参するんですけれども。

この歌合戦をかましたのは島津の重臣、新納(にいろ)忠元、相良方は犬童(いんどう)頼安だったと伝わります。新納は秀吉に対しても即座に返歌するなど、鬼武蔵と称されるほどの強さだけでなく教養のある武将としても評価の高い人だったようです。

戦の中にも日本人ならではの風流を感じさせる水俣歌合戦、数ある戦国時代の逸話の中でも非常に気に入っている話です。スピーカーを持ち出して大音量で相手を揶揄したり、それに激怒してミサイルを撃ち込むどこぞの国々はこういった風雅を見習っていただきたいものです。
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by utah_jazz12to32 | 2016-01-12 23:14 | 熊本県の城跡

九州を中心に有名無名問わず、城跡の散策・撮影と歴史背景を探索


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