城跡散歩

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カテゴリ:岡山県の城跡( 2 )

雲海と備中松山城跡(岡山県高梁市)

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現存天守で最も高地に位置する備中松山城。

「天空の城」として有名になった竹田城の余波で備中松山城も雲海に浮かぶ様が見られる城として注目を集めているそうです。竹田城は遠すぎるのと、なんといっても竹田城にはない現存天守がありますのでね。

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昔は案内も何もなかったようで、知る人ぞ知るだった展望台への道のりですが、今は案内板も整備され、迷うことなく辿り着けるでしょう。

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仮設トイレも設置された駐車スペース。朝5時前にはすでに停められず、少し下った所に路駐。
陽の上らない時間帯から行動する場合は明かり必携です。野生の猿の生息地でもあるようで、注意書きがありました。

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暗いうちはどこが城なんだかわかりませんが、雲海の動きはなんとなくわかります。
明るくなるとやっとあの家みたいなのが城か?とわかるように。展望台から手前右手の山に天守が見えます。
雲海は出たものの城の方までかからず、残念ながら「雲海に浮かぶ城」の景は見ることができませんでしたが、未明から夜明けを味わいながらなかなか趣のある普段と違った城巡りでした。

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展望台から戻ると私の車の後にギッシリと路駐の列が。黙って俺についてこい!みたいな。
良い場所をとりたいのであれば、防寒対策をしっかりして夜明け前から行動しましょう。

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遠方から眺めた後は実際に登城。シャトルバスで途中まで登り、そこから歩いて15分ほどで大手門跡の素晴らしい石垣群が。本丸への曲輪群も素晴らしいの一言。

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小ぶりながら独創的な形を持つ天守の内部には非常に珍しい暖をとるための囲炉裏が。畳はどこかで見た記憶がありますが、囲炉裏は初めて見ました。

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一般の観光客はだいたい天守を見たら帰ってしまうのですが、現存櫓の裏から奥にさらに古い時代の曲輪が広がっています。普段着で歩いて廻るには少々難儀しますが、備中兵乱の舞台となったこれらの史跡を見ずに帰るのはもったいなさすぎます。

※備中兵乱の経緯

宇喜多氏 「備前の三村の領土を奪うぜ!三村のボスを暗殺するぜ!URYYYYY!」

三村氏  「何をするだぁーっ!許さん!奪い返す!」 → 3万の大軍で攻めるも、宇喜多勢5千の待ち伏せに引っ掛かり、返り討ちに遭う。

宇喜多氏 「この勢いで備中にも侵攻するぜ!ヒャッハー!」 → 三村方の諸将寝返り相次ぐ。備中松山城も裏切りにより宇喜多方へ。

毛利氏  「宇喜多がのさばるとめんどくさい。三村とは同盟だし、ここは宇喜多を追っ払っておくか・・・。」 → 備中松山城、再び三村方へ。

宇喜多氏 「国内も安定していないし、とりあえずうちも毛利と同盟しよう。」 → 毛利これを受け入れ、三村ブチギレ。

三村氏  「毛利め、憎き宇喜多と結ぶとは!坊主憎けりゃ袈裟まで、毛利とは手切れだ!うちは織田と同盟する!」

織田氏  「同盟したはいいけど、うちは武田攻めで忙しいからまだ中国方面には行けないのよねー。」

毛利氏  「三村滅ぼして備中ゲットだぜ!」 完


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城から少し離れた所に尼子の忠臣、山中鹿介が刺客にやられた渡し場だった場所があり、後年に建てられた墓があります。

鹿介は我に七難八苦を与えたまえと月に願掛けしたそうですが、主家滅亡して捕まった上に便所の中を通って逃げ出し、織田に見捨てられて最後は暗殺と、十分すぎるほど願いは叶えられたのではないでしょうかね。
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by utah_jazz12to32 | 2015-12-24 19:13 | 岡山県の城跡

清水宗治と備中高松城跡(岡山県岡山市)

大河ドラマ「軍師官兵衛」でも毛利攻めの重要な場面として登場した備中高松城。

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城跡は公園になっていて、城跡の遺構はほとんど残っていませんが、戦国史に名高い水攻めの痕跡が公園内や周辺に残されています。



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公園内に残る城主清水宗治首塚。豊臣側の降伏勧告に頑として応じず、最後は合わせて数万を超える兵に囲まれた中、浮かべた小舟で舞曲を舞い自刃。秀吉をはじめ、敵方からも称賛された見事な最期を遂げました。


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宗治自刃の地を伝える顕彰碑。公園から少し離れた所にあります。
本能寺の変が毛利側に伝わっていたら彼は死なずにすんだのでしょうか。


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公園周辺に残る水攻めの堤防跡。水攻めの策は秀吉が考えついたのか、如水が進言したのか正確な記録はありません。意外なところで川並衆だった蜂須賀正勝の発案だったのではなどと諸説ありますが、とにかく前代未聞の奇策だったことは間違いありません。とりあえず登って豊臣軍雑兵の気分を味わいましょう。

その後「のぼうの城」で有名になった忍城攻めや、紀州雑賀攻めなどで水攻めが取り上げられました。また関ヶ原合戦前に、家康が大垣城に籠る西軍相手に水攻めを計画していた説も。


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周辺の小山には吉川、小早川を主力とする毛利の援軍が陣を張ったのでしょう。しかし水に囲まれた高松城を救う術はなく、小早川隆景、安国寺恵瓊らが豊臣側と和睦交渉を開始します。和睦成立後、秀吉は中国大返し、山崎の合戦、清州会議、賤ヶ岳の戦いと歴史に残る戦と謀略戦を勝ち抜き、天下人への階段を一気に登り詰めます。もちろんその陰で如水が智謀を発揮したのでしょう。


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水攻めから400年経ち歴史公園として整備された高松城跡。整備にともない沼の復元を行ったところ、地中に眠っていた蓮が自生するようになりました。かつて城を守り、主家に殉じた清水宗治にちなみ「宗治蓮」と呼ばれ、7~8月には見事な花が咲きほこるそうです。

400年経って見事に忠義の花を咲かせた清水宗治。武士の鑑として蓮とともにその名が残すという、これをロマンと言わずになんといいましょうか。
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by utah_jazz12to32 | 2014-09-15 13:36 | 岡山県の城跡

九州を中心に有名無名問わず、城跡の散策・撮影と歴史背景を探索


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