城跡散歩

rainbow75.exblog.jp ブログトップ

有馬晴信と日野江城跡(長崎県南島原市)

b0162268_23395827.jpg

三大キリシタン大名居城跡を制覇するべく、有馬晴信の居城だった日野江城跡へ。

b0162268_23113055.jpg

※三大キリシタン大名=大村・有馬・大友。

私が称しているだけで、一般的に三大キリシタン大名と呼ばれることはありません。
高山右近・小西行長なども有名なキリシタン大名ですが、九州土着の大名で、さらに3人連名で天正遣欧少年使節を派遣したなどの実績を考慮しまして三大キリシタン大名と。
この呼称広まらないかなあ。

b0162268_23235127.jpg

日野江城は安土城のように、長い石段を備えた珍しい城だったそうです。
帰国した少年使節一行は、晴信へ成果報告をしにこの石段を登り登城したとか。
中浦はなんたってジュリアンさ(by戦国鍋)

残念なことにその貴重な石段遺構、今は埋め戻されてしまっています。
たまたま城跡を管理する職員の方がいらっしゃいまして、いろいろと話を聞く事ができたのですが、やはり管理・保存が難しいということで埋めざるをえないとのこと。

使節渡航中に三大キリシタン大名のうち、大村純忠・大友宗麟は死去。
さらに秀吉がバテレン追放令を発するなど、徐々に時代はキリシタン禁制へ傾きつつありました。
帰国した少年使節はその後伊東病死・千々石棄教・原国外追放・中浦殉教と、激動する時代に呑まれてそれぞれの人生を終えることになります。


b0162268_234914.jpg

本丸に抜ける道沿いには学校はセミナリヨ跡。(by戦国鍋)
石垣は積み直しのようですが、やたらに広い二の丸、異様に狭い本丸近くの空堀などそれなりに見応えのある城跡です。

しかし日野江城の価値は遺構の規模や残り具合でなく、少年使節や城主晴信とその息子直純など城に関わった人物たちの生き様、またその後の歴史への関わり方にあります。

有馬晴信も大村純忠・大友宗麟同様浮き沈みの激しい人生を送りますが、その最期は岡本大八という同じキリシタンに騙され、大八の道連れのように九州から遠く離れた甲斐(山梨県)で斬首させられてしまうという、他の大名には例を見ない悲劇的なものでした。
大八事件以後、元はキリシタンだった晴信の息子直純も、幕府の禁教令に従い家臣・領内のキリシタンを厳しく取り締まるようになりました。
その後有馬氏は日向に転封、島原に晴信が築こうとしたキリシタン王国は完全に終焉を迎えます。

日野江城から3キロ余りの距離に支城として築かれた原城は、後に江戸幕府を仰天させる日本史上最大の一揆、島原の乱の舞台となります。
その一揆軍で中心的な役割を果たしていたのは帰農した有馬・小西の旧臣たちでした。
そして原城に籠城した一揆軍を囲む幕府軍に参戦していたかつての領主直純と対峙することとなります。

天草・島原は私が歴史に興味を持つきっかけとなった、思い入れの深い土地なのです。
各自治体はキリシタン大名の生き様の面白さを、もっともっとアピールしていただきたいと思う次第。
[PR]
by utah_jazz12to32 | 2012-07-11 00:55 | 長崎県の城跡

九州を中心に有名無名問わず、城跡の散策・撮影と歴史背景を探索


by joe-un
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite