城跡散歩

rainbow75.exblog.jp ブログトップ

大友二強と猫尾城跡(福岡県八女市)

b0162268_519351.jpg

女優黒木瞳さんの出身地、旧黒木町にある猫尾城跡(画像は本丸跡)。
公園になり、遊歩道が整備されていますが、散策すると中世山城の特徴である空堀跡や、二の丸や三の丸、馬場などの曲輪跡がよく残っています。


b0162268_5264043.jpg

木の根元に残る石垣跡。よく見ると草だらけなのがもったいないくらい、そこかしこに往時の遺構が残っています。


b0162268_5292453.jpg

二の丸と本丸の間にある馬場跡。


b0162268_5462829.jpg

本丸跡に建つ籠城戦戦没者慰霊の碑。


もともとは大友方に属していた黒木家ですが、大友氏が島津氏に耳川の戦いで大敗を喫して弱体化。まさに好機と「肥前の熊」龍造寺隆信が筑後地方に侵攻。一度は龍造寺氏に反目した黒木家ですが、周辺の国人の仲裁もあって龍造寺氏の傘下に収まります。

ところが驕れる者久しからず。今度は沖田畷の戦いで龍造寺が島津にまさかの大敗を喫し、隆信はあえなく敗死。すると筑後地方の勢力挽回を目論むかつての主家、大友家が侵攻。猫尾城を包囲します。

城方の頑強な抵抗と、耳川の敗戦で歴戦の将を数多く失っていた大友軍は攻め手を欠き、戦況は膠着状態に陥ります。大友方は援軍に立花道雪と高橋紹運という、大友二大最強武将を送り込みます。シャアとアムロが攻めてきたかのような戦力増強に、城方はなおも善戦するも防戦かなわず、落城の仕儀と相成りました。


b0162268_65167.jpg

二の丸跡に鎮座する石仏。
籠城戦で亡くなった兵たちの慰霊でしょうか。

敗軍の将黒木家永は切腹。この時家永を介錯したのは、彼の13歳になる娘で、介錯後に父の首と刀を大友方目がけて投げつけたという逸話が残っています。

猫尾城を落城させた後、なおも筑後地方の失地回復に奮闘した立花道雪は、翌年柳川城攻めの最中に陣没。魂ともいえる家中の柱石を失った大友に、九州の覇を取り戻す力はもう残されていませんでした。

道雪が没したその翌年、今度は大友最後の柱高橋紹運も、自らが猫尾城を攻めたように、大宰府の岩屋城を4万とも5万とも伝わる島津の大軍に包囲されます。760余名の兵を指揮し、絶望的な総力戦を半月持ちこたえた紹運でしたが、ついに力尽き岩屋城の露と消えました。

諸行無常。
[PR]
by utah_jazz12to32 | 2012-03-30 06:21 | 福岡県の城跡

九州を中心に有名無名問わず、城跡の散策・撮影と歴史背景を探索


by joe-un
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite