城跡散歩

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大友宗麟と臼杵城跡(大分県臼杵市)

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私のお気に入り戦国大名で、勝手に三大切支丹大名と命名している大友宗麟(あと二人は大村純忠、有馬晴信)の居城であった丹生島城(臼杵城)。
今は埋め立てで往時の面影はありませんが、海に突き出した土地に築城された天然の要害と呼ぶにふさわしい城でした。


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近くにある国宝臼杵石仏に併設されている博物館に、当時の城を再現した模型が。これだけ海と崖ではなかなか攻められませんで。


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二の丸と本丸の間にある空堀。奥には天守櫓台。
二の丸跡は運動場になっていたり、よくある公園として整備された城跡ではありますが、現存する二基の櫓や石垣、空堀など、見所ある遺構が数多く残っています。


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海に面していた搦手門。非常時にはここから船で脱出できるようにしていたとか。


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二の丸跡にある国崩しのレプリカ。本物は大友氏改易後に豊後に入った稲葉氏が、廃藩の時に政府に献上して靖国神社に展示されています。

博多を荒らして府内(大分市)を占領した島津軍。さらに南下して宗麟の籠もる臼杵城も攻め立てました。すでに家督はダメ嫡子義統に譲り、隠遁していた宗麟ですが、「国崩し」と命名した仏浪機砲二門をぶっ放して見事撃退に成功します。滅亡寸前まで追い詰められて、この数ヶ月後に病没する宗麟でしたが、臼杵城の攻防戦はかつて九州に最大版図を築いた戦国大名として、最後に放った意地と輝きでした。


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国崩しレプリカそばにある宗麟のレリーフ。何やら海賊のボスのようです。

立花道雪をはじめとする有能な家臣を束ねて、九州の3分の2を領土として栄華を極めた時代。キリスト教に傾倒して国まで傾けてしまった転落時代。そして最後は領土のほとんどを失いながらも、信仰の中で安らかに終わりを迎えた宗麟。
波乱万丈を生きた人物は多いですが、宗麟ほど浮沈の大きい人生を送った人物はなかなか見当たらないのではないでしょうか。

そもそも府内から臼杵城に移ったのも、奥さんが嫌で家出したからという、一国の長としてあるまじきなんとも情けない、いや良くいえば人間くさい理由でしたからねぇ。(実際は防衛戦略上の要因も大きかったようです)

宗麟だけでなく龍造寺に脅されまくった大村純忠と、詐欺師に騙されて刑死させられた有馬晴信など、三大切支丹大名はいずれも英雄と呼ぶには程遠い人生を送っています。

信仰を貫いて聖人化した高山右近や、天下を前に劇的な最期を迎えた信長、栄華を極めて死んでいった秀吉のような英傑と違い、この人間味溢れるダメッぷりに私は強く惹かれるようです。


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宗麟の努力も空しく、ダメ息子義統が朝鮮の役で敵前逃亡をやらかして秀吉の逆鱗に触れ、大友氏は豊後から追い出されました。その後臼杵城の城主は入れ替わり、稲葉氏の居城として明治を迎えます。

臼杵城から歩いてすぐ、城下町の面影を色濃く残した町並みが今も残ります。
宗麟が信仰に燃えた生涯を送ったこの土地は、少し前に詐欺事件を起こした小室哲哉の奥さんの出身地でもあります。ご実家はふぐ料理で有名な料亭を営んでおられるそうです。人に歴史あり。
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by utah_jazz12to32 | 2011-09-03 21:07 | 大分県の城跡

九州を中心に有名無名問わず、城跡の散策・撮影と歴史背景を探索


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