遠江争奪戦と小山城跡(静岡県牧之原市)
高天神城跡に行く道中、たまたま見かけて立ち寄った小山城。
桶狭間の戦い後に今川領に進出してきた武田方が、徳川方の高天神城を奪う拠点として、1571年に砦を改修して築城。信玄亡き後、息子の勝頼が首尾よく高天神城を奪取したものの、徳川方の反撃にあって1582年落城。
なかなか立派な模擬天守が建っていましたが、もとは砦だったことと、築城された時代から天守はなかったのではと。月曜日だったため、天守には入れず。
現在は公園として整備されていて、甲州流と呼ばれる武田方の築城技術である丸馬出しや三日月堀が復元されています。定番の土塁や空堀も。
一番の見所は甲州流築城術の遺構、三重の三日月堀跡。
落城時には城内の女性たちが身を投げ、その化身である赤い唇を持つヒルが棲むようになったという伝説がありますが、それは後世の創作くさい。
しかしこの堀跡見るためだけでも、立ち寄る価値があります。
戦没者供養碑。
今川家衰退後の遠江をめぐる武田と徳川の戦いは10年余りに及ぶ熾烈なものでした。のちに天下を治める徳川も、当時は単独では武田方に対抗できないほど小さな勢力でした。信玄が上洛途上で死去していなければ、どうなっていたことやら。
武田方の城らしく、山本勘助が掘らせたという井戸跡。
実在したのかも疑われる軍師ですが、久能山などにも勘助が掘らせたという井戸跡が残っています。
城跡の麓に能満寺があり、天然記念物のソテツが植わっています。
このソテツを気に入った家康が、駿府城に持ち帰ったところ、ソテツが毎晩帰りたいと泣いたため、能満寺に戻したという逸話が。
ただっ広い城内で植物が夜な夜な泣くとか…。
怖すぎる。
by utah_jazz12to32
| 2011-03-31 07:34
| 静岡県の城跡